戦後復興期における伊勢神宮の第59回遷宮

 終戦した1945年、アメリカ主体の連合軍が政策決定の主導権を握る中、国家の手厚い保護を受けていた全ての宗教団体には自立が求められた。
これ以降、神社仏閣は「宗教法人」として企業のような独立採算制の下、存在していくことになる。同年、伊勢神宮は4年後に予定されていた第59回遷宮の中止を告知した。
実は伊勢神宮への国費投入は正式に打ちきられたが、過去に支給された分は遷宮資金として活用される予定であった。
それでも全く足りなかったという。
戦時中には国費は満足に支給されず、滞っていたのがその理由だった。

 「果たして、国が支援しない伊勢神宮を人々はどう思うのだろうか。
食うに困る日本の世の中で、遷宮資金は集められるのだろうか。
59回目の遷宮は実現できるのか。
・・・・伊勢神宮は『日本国民の総氏神を祀る神社』であり続けられるのか。」

 ひょっとしたらこんな事を自問自答する人もいたのかもしれない。
伊勢神宮が戦国時代以来の危機に陥っていたことは想像に難くなかった。

 幸いにも、日本は目覚ましい戦後復興期を迎えた。
そして伊勢神宮は遷宮に対する寄付を何とか集めていく。
終戦前までに支給された国費と一般の人々からの寄付により、莫大な遷宮資金が確保できたのだ。
そしてとうとう1953年、伊勢神宮の第59回遷宮が行われる。
内宮が10月2日、外宮が10月5日。
第58回遷宮から24年後のことだった。

 ちなみに日本の本格的な戦後復興期は、一般的に1950~1954年と言われている。
第59回の遷宮はちょうどその最中に行われたのだ。
人々は伊勢神宮の遷宮再開に何を思ったのだろうか。
白黒テレビすら普及していない時代、日本の人々の情報源はラジオや世間話だった。
当然目で見る事はできなかったはずだ。
それでも「日本国民の総氏神を祀る神社」の明るいニュースに励まされた人々は多かったのかもしれない。
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2014/6/30