終戦後の宗教政策

 1945年、第二次世界大戦が終わり、アメリカ主導の連合軍が日本の政策決定を主導、日本は復興しようとしていた。
二度と戦争しないよう、日本国民を戦争に駆り立てた政策は一掃される。
そして明治以降の偏った宗教政策もその政策の中に含まれていた。

 昭和天皇自身は自らを神と主張したことは一度もなかったが、終戦の翌年に「天皇は現人神」という概念を否定できるような発表を行う。
日本神話を都合良く解釈し、「日本は他国より優れている」というような選民意識を植え付ける行為は禁止された。
「国家神道」という考え方も禁止。
伊勢神宮を頂点としていた神社の格付けも廃止される。
そして当然、特定の宗教に対する国家の手厚い保護も廃止されるのだった。

 しかし、既に神々として祀られている歴代の天皇達の存在が否定されることもなく、神社の神々に捧げる伝統的な神事を行うことも許されていた。
神道の存在自体を否定されることはなく、日本神話も失われることはなかったのだ。
つまり、保護はしない、かといって潰しもしない。
例えて言うならば、神社仏閣が企業のような「独立採算制」を求められたのである。
「生き残りたいなら、自分達で何とかしなさい。」
こういった状況だったのだろうか。

 宗教政策の変化に伴い、「皇室の氏神を祀る神社」として手厚い保護を受けていた伊勢神宮は、またもや遷宮中断の危機を迎えた。
遷宮の為の国費投入が打ち切られたからである。
資金難に苦しんだ戦国時代には織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らの支援を受けて危機を乗り越えたが、もう権力者には頼れない。
一寸先は闇だった。
終戦した1945年、伊勢神宮は第59回遷宮の中止を告知する。
実は第59回遷宮は1949年の予定であり、まだ4年も先の事であった。
それでも当時、先の見通しが立たなかったのは明らかだ。
1609年からずっと、20年毎に必ず実施され続けてきた伊勢神宮の遷宮が中止されたのだ。
これ以降、伊勢神宮の「独立採算制」が試されることになる。
遷宮には多くの人々の支援が必要であった。
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2014/6/26