明治時代の宗教政策

 明治時代(1868~)とは、天皇の名の下に様々な権力が行使され、世の中の仕組みが急激に変っていった時代である。
当初、明治政府は神道の国教化の方針を固め、宗教界にも序列を与えようとした。
伊勢神宮はもちろん神道に属する宗教であるが、「皇族の氏神を祀る神社」として日本全ての神社の頂点に位置づけられることになる。

 ちなみに、日本古来の考え方であった神仏習合の考え方を否定し、神と仏、つまり神社と寺院をはっきりと区別させるようにしたのもこの頃であった。
「神仏分離令」が打ち出されたのは1868年。
神道による国民教育を目指しており、仏教の排除を意図したわけではなかった。
それでも神仏分離令をきっかけに寺院や仏具に対する破壊行動が全国的に起こってしまう。

 そして間もなく、キリスト教や仏教を含め、あらゆる宗教を統制下に置こうとした政府の宗教政策はとん挫する。
欧米と肩を並べる「日本国家」をアピールするには、「政教分離」や「信教の自由」を無視することはできなかったことも理由の一つとなった。
政策には矛盾が生じ、人々の心もついてくるはずもない。
明治政府の宗教政策は迷走していたと言えるだろう。

 ただし伊勢神宮においては資金難に陥ることもなく、遷宮は順調に行われた。
そして時代は明治(1868~)、大正(1912~)、昭和(1926~)へと移り、日本は第二次世界大戦に突入していくのだった。
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2014/6/19