人々の支える伊勢神宮の遷宮

 1300年間に渡り、同じモノを以前とそっくり同じようにつくりあげ、20年毎に神々に捧げる。
そのために莫大な資金を何とか集め、何年もかかって準備をする。
それが伊勢神宮の遷宮である。

 なぜ天武天皇は伊勢神宮の遷宮を20年毎と定めたのだろうか。
残念ながらこの理由について記録は残されていない。
文字通り「神のみぞ知る」話だ。
つまり、その理由は想像するしかない。
当然そこには神道という宗教儀式の意義もあったのだろう。
しかし推測される理由の中には、比較的わかりやすいものもある。
例えば、五穀豊穣の感謝祭で供えられる穀物の保存年限が20年という理由である。

 古代では、伊勢神宮は「皇室の氏神を祀る神社」として個人が参拝することは禁じられていた。
庶民が参拝することなど考えられず、さい銭箱すら置いていなかったという。
その伊勢神宮も時代と共に変り、「日本人の総氏神を祀る神社」と認識されるようになる。
また、20年毎の伊勢神宮の遷宮は中断を余儀なくされることもあった。
権力者の保護を受け、その保護を失い、国の保護を受け、その保護を失う。
国土が荒廃する度に、伊勢神宮には大きな危機が訪れた。
しかし今や、伊勢神宮の遷宮を支えるのは日本人ばかりではない。
誰もが自由に伊勢神宮に入ることができるからだ。
ちゃんとさい銭箱も置いてある。

 直近では2013年の遷宮も無事に終え、伊勢神宮を訪れる人々はかなりの数にのぼる。
ただし参拝者でも「熱心な神道信者」だという人は、それほどいないのではないだろうか。
日本に観光にきた外国人の方々もいる。
さい銭箱に投げ入れられる小銭にしたって、1円や5円というわずかな金額も多いだろう。
毎年のように多額の寄付をする人々もいることを考えると微々たる力かもしれない。
しかし参拝者は皆、伊勢神宮の遷宮の支えとなる原動力になっている。
遷宮は多くの人々に支えられているのだ。
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カテゴリー: 伊勢神宮, 日本神話を創った昔の人々の物語 タグ: パーマリンク
2014/7/7